山形は城下町として発達してきました。最上義光公が山形城(現在の霞城公園はその二の丸)を築城し、広大な城郭の外側に物資交易にあたる商人や職人の町を作りました。江戸幕府の時代、最上義光公は産業振興のために「市日(市場を開く日)」を作りました。ちょうど現在の七日町商店街のある区域は「7」のつく日に市を開いたことから、「市日」をそのまま町名に制定した際に「七日町」とされ、その伝承は戦後の町名改正まで続き、商店街として形成されていったのです。