全体会・パネルディスカッション
『持続可能なまちづくりのために』
 
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コーディネーター
img 第7回リサイクル商店街サミット山形大会 総合アドバイザー
佐藤 修氏(コンセプトワークショップ代表)

1941年、東京都大田区生まれ。1964年東京大学法学部卒業と当時に東レ株式会社に入社。経営計画、事業戦略、事業企画開発などを担当した後、CC(コーポレート。コミュニケーション)戦略を策定し終えると新たな思いを胸に1989年同社を退社する。同年からコンセプトワークショップを設立(代表)し、「TAKE IT EASY/解決の鍵は現場」を信条に、国土庁地方振興アドバイザーをはじめ、数々の公務をこなしながら、企業や自治体のCIにまちづくりに全国を駆けめぐる。全国の自治体に数多くかかわる中で、山形市の「共創プロジェクト」立ち上げ以来、山形の人と自然の魅力にとりつかれた山形通いを続けている。
パネラー
img 第1分科会コーディネーター
加藤 博氏(青森市新町商店街振興組合常務理事)

青森県西津軽郡深浦町に生まれる(1949年4月7日生)
生家は、当時から西津軽郡で総合衣料商。明治大学農学部を卒業。1986年11月、青森市新町商店街に婦人服専門店を開店する。1988年より商店街のまちづくりを契機に、青森市中心街区のまちづくり運動を展開し現在に至る。「魅は与によって生じ、求によって滅す。」「この土地は、先祖からもらった物ではない。子孫から借り受けているのだ。」を心の拠り所に、毎月40回以上の会議に出席する。すべてがまちづくりに関するものばかりで、これらが「天命」とも思っている。
img 第2分科会コーディネーター
白木 力氏
(熊本市・バリアフリーデザイン研究会事務局長)

熊本に生まれる(1952年8月16日生)
一級建築士でインテリアプランナー。ハードづくりがいつもの仕事で、硬い仕事をしているせいか、基本は柔らかいものからの発想。久木野村そば道場など公共施設も設計するが個人住宅の設計が多い。バリアフリーと称して型にとらわれないモノの見方で、高齢者、障害者に関連した福祉分野から環境問題、平和問題を中心に市民運動を続ける。バリアフリーデザイン研究会事務局長として、熊本路面電車サミット(2001年)では後援という立場で低床路面電車の導入に力を注いだ。
img 第3分科会コーディネーター
藤村望洋氏(早稲田商店会エコステーション事業部長)

大阪に生まれる(1944年)神戸大学法学部卒業
在学中に、情報誌の草分け「月刊プレイガイド」を創刊以来、工具・機械・販売システム等の新商品開発を専門とする。現在、早稲田商店会エコステーション事業部長として、全国のリサイクル商店街ネットワーク構築に携わっており、「大地震を迎え撃つ12のシンポジウム」を総合プロデュース。「海の家ベスト100実行委員会」委員長として、海・山・町のネットワーク作りを手がける。茶名:宗洋・俳号:望洋
img 第4分科会コーディネーター
三浦秀一氏
(東北芸術工科大学環境デザイン学科助教授)

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963年生まれ 兵庫県西宮市出身
1986年3月 早稲田大学理工学部建築学科卒業
1992年3月 早稲田大学大学院博士課程修了
4月 東北芸術工科大学デザイン工学部環境デザイン学科講師 1993年4月 早稲田大学理工学総合研究センター研究員
1996年4月 東北芸術工科大学デザイン工学部環境デザイン学科助教授 ・専門分野…建築・都市・地域の環境とエネルギーに関する計画 地球レベルにまで広がる環境問題に対して、省エネや自然エネルギーを取り入れた持続可能な地域づくり研究を行っている。
img 第5分科会コーディネーター
中村桃子氏(千葉県佐倉市・NPOこどものまち代表)

特定非営利活動法人 ちばMDエコネット佐倉・木ようの家スタッフ ・特定非営利活動法人 NPO佐倉子どもステーション会員
1996年12月 大学の卒業論文をきっかけにドイツの「遊びのまち ミニミュンヘン」を知る
1997年3月 早稲田大学第2文学部卒業
1997年4月〜1999年3月 東京都世田谷区の冒険遊び場"プレイパーク"に勤務
2000年7月〜8月 ミュンヘンを訪問
2002年3月 「子どもがつくるまち ミニさくら」開催(NPO佐倉こどもステーション主催)
2003年4月  「子どもがつくるまち ミニさくら2003」開催(NPO佐倉こどもステーション主催)
2004年4月 明星大学通信制大学院入学(教育学専攻) (財)トヨタ財団の助成を受け、2005年3月の「ミニさくら」開催にむけ、NPO子どものまちとして活動開始。
img 第7回全国リサイクル商店街サミット山形大会実行委員会幹事長
菊地健太郎(七日町商店街青年会会長)

昭和34年3月1日、山形市緑町に生まれる。県立山形東高卒、日本大学経済学部卒。昭和59年、脱サラし、山形市七日町に飲食店を開業する。昭和62年法人設立、代表取締役就任、現在に至る。現職として、山形県商店街振興組合連合会青年部長・山形県中小企業青年中央会理事・山形市中心商店街街づくり協議会幹事その他街づくり系NPO理事も務める。
司会 第7回全国リサイクル商店街サミット山形大会2日目の全体会を始めさせていただきます。司会の古内映子です。それでは、パネルディスカッションのコーディネーター・佐藤修様をご紹介させていただきます。佐藤様は、1941年、東京都にお生まれになり、東京大学法学部をご卒業後、東レ株式会社に入社され、経営計画、事業戦略、事業企画開発などを担当した後、1989 年に退社。コンセプトワークショップを設立され、数々のご公務をこなしながら、全国の自治体に数多くかかわる中で、山形市の「共創プロジェクト」の立ち上げ以来、山形に深く関心をお持ちでいらっしゃいます。さっそくではございますが、佐藤様、よろしくお願いいたします。
佐藤 これから2時間、全体会ということで、このサミットの3番目のプログラムを進めさせていただきます。ご案内の通り、今回のテーマは「持続可能なまちづくりのために」です。商店街として出来ることがたくさんあるなーという思いを込めて議論をしていきたいと思います。進め方ですが、前半で昨日行われました分科会のことを振り返って、コーディネーターのみなさんから報告も兼ねてメッセージを頂戴しようと思います。と言いましても、あまり丁寧に行ってしまいますと時間がなくなってしまいますので、今日は、昨日の議論を踏まえ、コーディネーターのみなさんが、どんなところに関心をお持ちになり、どんなことを気付かれたかというお話を中心にしていただこうと思ってます。その後は、実行委員会幹事長の菊地さんから感想を述べていただいて、6人のみなさん方と意見交換をさせていただきます。会場のみなさんからのご発言もいただきます。今日はカジュアルにと言いますか、気楽な雰囲気で進めていきたいと思います。さっそく昨日の分科会の順番通りに、極めて主観的な意見で結構ですので、お話を頂戴できればと思います。
加藤 みなさん、おはようございます。今日は昨日以上に多くの人で賑わい、大変うれしく思います。昨日、私は「地域社会の元気のために、商店街ができること」というテーマを与えられました。私共は単純明快に、私のおります青森市の取り組み、そしてかの有名な早稲田商店会会長の安井さんからの早稲田における、まちづくりの取り組みを紹介させていただきました。会場には品川区商連の綱島さんが来ておりましたので、会場からも負けじと、まちづくりに対する思いやコンセプトをお話願って、それはそれは活発にディスカッションをさせていただきまして、私自身もうれしく、2時間たっぷり使って議論致しました。そのことを踏まえながら、私なりにポイントだけをお話させていただきます。まずは、やはりまちづくりには、いろんな形の手法、コンセプト、主義、主張があるんだなと思いました。青森市におけるまちづくりのきっかけ並びに運動展開の形と、安井さんが早稲田で一生懸命やってきて確立してきた活動、運動は、全く違いました。でも、根っこや目的は一緒だなと、改めて浮き彫りにもなりました。例えば、私は「福祉」をキーワードにまちづくり運動をやってきまして、どんな政策が生まれ、そこからどんな連携が生まれてきたのかをお話させていただきました。一方、早稲田は「環境」をキーワードに、まちづくりを先駆けてやってきたモデルケースとも言われています。しかし、当初はそんな高尚な考えは全くなくスタートしたんだと。すなわち早稲田大学32000人の学生が夏枯れ、つまり夏の間に一気にいなくなる状況をなんとかしようと、そのためにどんなイベントをやろうかとみんなで話し合った結果、たまたま環境に関するイベントだったんだと。それがずっと展開してきて、いろんな人との繋がりが出来て、そして安心、安全、美容、健康の4つをキーワードにして、今では、「安心・安全のまち早稲田」と言われているわけです。そういう中から、震災疎開パッケージというものが生まれたり、防犯設備の運動が出来たり、ものすごい展開になっている事例をお話してくださいました。青森の場合は、政策をメインに打ち出しました。それは市長のトップ政策と、まちの政策、商店街、会議所、TMOという組織の政策が全く一致していたので、コンパクトシティという構想の中心街区の活性化運動をしてきたことが、我々のまちづくり運動の歩みです、というお話をさせていただきました。「コンパクトシティと言うのは、どんな街なんですか?小さな街なんですか?」とよく言われますが、決してそうではなくて、すべての機能が補完しあっている場所が、その街には必ずあるはずなんだと、そこをもう一度見直すことによって、住む人が一番便利で、幸せな住み方をするんじゃないですか。郊外にいる人も、自然を感じながら、自然に囲まれた生活をして、何か用事があるときは、コンパクトシティである中心街区に来て、すべての用事を足していける。そんな幸せな事はないだろう。公共交通機関の要衝があり、大型店もあり百貨店もあり、商店街もある。官公庁や金融機関、オフィス、病院もある。そんな全ての機能を補完しあっている場所、それを名 付けて、再活性化のためのインフラ整備をもう一度していこうというのが基本計画なんです。私共はすべての政策に基づいて、一つずつ小さな成功を積み重ねてやってきたお話をさせていただき、これは青森も品川も早稲田にも相通じるものがあるということに行きつきました。誰のためのまちづくりなんですか?誰が誰のためにやるまちづくりなんですか?自分たちのまちに、住み、生活の生業をしている人たちの、自分たちのまちは自分たちでつくるんだという考えが、すべてを左右するのではないか。よその人が来て、あそこはこうしなさい、ここはこうしなさいという問題ではないはずだと。商業者として、商店街として何ができるのか。商業者だけでは、まちづくり、商店街、地域の活性化はできないということに気づくことです。気づきから連携が始まっていきます。私たちだけではできないから、誰かに応援をしてもらわなければいけません。そこから連携のキーワードが出てくるだろういうことで、青森は今49の団体、NP0、施設の団体、ボランティア団体、学校、企業、行政、会議所と、あらゆるところと連携しながら、私共は「福祉対応型商店街」としてイベントや事業をやっております。すべて政策に基づいた、一つの大きな政策ができますと、次から次へと展開されていくんです。昨日は会場全員と私共コーディネーター、ゲストスピーカー、会場のゲストの方とフリートーキングをした中で、こんな結論が出たような気がしております。
佐藤 かなり本質的な議論が行われたようですね。加藤さん、政策というのは、ビジョンという言葉に置き換えても大丈夫ですか?ビジョンを共有した人たちが、役割分担をしながら進めていく。その一役を担うことによって自分たちが元気になるし、地域も元気になると。
加藤 全くその通りです。私は18年前に、なくなりましたマイカルの前のニチイにおりました。その時の経営理念に強く感銘を受けて学んできました。しかし、商店街には経営理念や政策理念がなかったんです。政策理念がなかったら、意思統一や合意形成はできるはずもありません。つまり目標感なんです。目標を共有しない限り、意思統一や合意形成はできないと判断して、やはり政策理念が大事だという考え方に行きつきました。
佐藤 第2分科会は、加藤さんのお話にも出てきた公共交通の問題も含めて、かなり幅広い議論をされたと思いますが、テーマとしては「人が集まる商店街」ですね。それでは白木さん、よろしくお願い致します。
白木 それでは、主要なテーマと、どういった議論があったかを掻い摘んでお話したいと思います。私は熊本から参りまして、ゲストパネラーには沖縄から来ている丸山さんという方もいらっしゃいました。山形に来てみてつくづく思いましたのは、やはり情報を伝えるってなかなか難しいんだなと。情報のバリアフリーということにも触れながらお話したんですが、私は車の運転を辞めて6年になります。驚くことに、こちらには昭和45年から車の運転を辞めた結城さんという大先輩がおられて、沖縄の丸山さんも約20年ということで、なんとなく車の運転を辞めた人たちが妙に揃ったところから話がスタートしたんですが、統一したテーマとしては「永続可能な」という言葉があったかと思うんです。その中で経済的に循環できないまちはダメだと、結城さんがおっしゃった。まちづくりとは商店街のためのものなんだと、それからバリアフリーは儲かるんだという丸山さんの言葉が、共通したキーワードかなと思いました。まず商売が出発点にあるということが、まちづくりには必要なんだということを分科会の中で意識させられました。特に車が邪魔物扱いとは言わないまでも、どうも人と対立しているようなところがあって、人と車の関係の中に、常に車に対して我慢がならない、一方では車に対して人間はおごりを持って、車とはなんとかなるもんだという思いがあるのではないか。というようなことを感じました。実はこちらに来る1週間前に、熊本では台風18号があって、いわゆる自然災害を共通したものとして感じたんですけれども、山形でも被害があったかもしれませんが、自然災害はある意味、人間に対して辛抱強さ、我慢を強いてきたわけですね、これまでずっと。そういった台風、地震、最近では浅間山の噴火もあって、自然はコントロールできないものなんだと意識させられることを、今回の全国リサイクル商店街サミットと平行して考えてきたんです。人が作り出した車、これは人間がどうにかできる物だと、おごりを持って思っているとすればですよ、街の中での便利な道具が、実はある意味で我慢させられている、我慢ならないものだという意識を持たせられているとすると、街の中での人と車の関係はうまくいかないのではないかと感じるんです。みなさま方、どうでしょうか。儲かるために焦ってないですか?そういう事もお聞きしたいんですが、もう一方で便利さを追求するために動き回っていませんか?消費者として、ちょっとした所までわざわざ車で行かなくて、歩いて買い物に行けるところを車で行ってないでしょうか?便利さゆえの我慢をしきれなくなっている。自分たちの生活を考えていく時に、まちづくりっていうのは、加藤さんが言われましたが、それぞれの役割分担、良さといったものをお互いに認識しあうことが、これから大事ではないかと考えた訳です。サービスする側、される側、常に同じ立場なんですね。ある時は消費者だし、ある時はサービスを提供するお店の人であったりする。それをどう考えるかではないかと思うんですね。例えば車一台、大体8平米位でしょうか。そこに一人の人が乗っているとすると、財布は一つしかありません。8平米の中に人が何人立てるか。そこにたくさんの人が立ったら、そこに財布はいくつありますか?ということですね。一人の人に多くの金を使ってもらうよりも、多くの人に少ない負担で楽しさを提供できた時に、もっとまちの中で経済的な後押しをもらえるんじゃないか。そういった関係が、これからのまちづくりに重要な視点になるのではないかと考えるんですね。車、自転車、乳母車、車椅子、そしておぼつかない歩みで歩く歩行者。いろんな動き方がありますが、それを自由に許容してくれる場所が、まちの中にあるかどうかなんです。それを提供できた時に初めて、そこに人が集まってくる商店街になるのではないかなと感じました。分科会の中でも申し上げたんですが、諦めずに、長くコツコツと地道にやっていかないといけない。誰がリードしてやるんではなくて、一人一人がやっていく立場の人間になっていくことが大事なんではないか。高齢化社会と言われますが、これまでは高齢者、障害者といった動き回ることが苦手な人、まちに出てこられない人たちが約3割位いるとすれば、そういった人たちを相手にしてこなかったのではないか。バリアフリーというのは、100%の人たちが楽しめるまちをつくることではないかという風に思います。熊本がですね、路面電車を通したまちで、それに私たちのグループが後押しをしたんじゃないかと言われているんですが、決してそうではありません。だから情報がなかなか伝わりにくいなと思ったのは、そういうことです。言葉が一人歩きして、本当の意味が伝わっていないのではないかということも、分科会の中で、専門的な言葉を聞きながら思わされ、またみなさんから語られました。単なる道の広がりではなく、商店街の広がりとして考えていただきたいというのが、焦点だったかと思います。
佐藤 第1分科会とは違った視点、商店街と人、人と車といったことを含めて、我々の生き方を見直していくところに、商店街やまちづくりが繋がっていくということですね。続いて第3分科会はですね、さらに広がりのある、「地域を越えての繋がりづくり」というテーマでやってくださいました。藤村さん、お願い致します。
藤村 みなさん、昨日、今日とお集まりいただいていますが、共通の項目は「エコステーション」ですね。空き缶やペットボトルの回収機を置いているわけです。これは実に動機不純な、ふざけたリサイクルでございまして、空き缶などを入れてゲームをして、当たると商店街の割引チケットが当たって、お客がお店にやってくると。だから空き缶回収ではなくお客様回収だというような、ふざけたリサイクルをやっていたら、今年で第7回の全国リサイクル商店街サミットができて、昨日は580人もお集まりいただいたようでございます。そういうネットワークになってきたんですね。じゃ、ネットワークを使って、どうするんだというのがテーマでございました。ただ、ネットワークの前に、自分のお店のことを考えてみようということで、全国のレストランや居酒屋や食堂の業界でカリスマと呼ばれている神谷デザイン事務所の神谷さんに来ていただきました。そして繁盛するお店とは、いかなるものか。彼は年間130店舗ほどを、改装も含めて作っているらしいんですが、それがことごとく流行ると言われて、ひっぱりだこなんです。その繁盛するお店には一体どういう秘訣があるのか。神谷さんのお話ではですね、まずお店は何を売りますか?から始まりました。モノを売るんですか?20世紀は物を売ってきました。21世紀のお店は何を売るんでしょうか?もうモノの時代は終わったんじゃないですか?コト、思いを売る。お客様に何をプレゼントできるか。お客様とコミュニケーションをして楽しかったねと思ってもらえるようなものを、どうやって売るのか。それが秘訣らしいんですね。その時に彼が面白い図を描いたので、みなさんにそこだけ報告をしておきます。お店がある、お客様がいらっしゃる、例えば100円で仕入れたモノを200円で売ると。レストランだったら、ここに八百屋さんがいて、仕入れが100円。それを加工して、200円でお客様に売る。八百屋さんが100円で持ってくる。「おう、そこへ置いておけ。お前正面から入ってくるな、裏へ回れよ」これが大抵の関係だと。今までの普通のモノの売り方だと。ちょっと発想を変えて、八百屋さんが0円で何か持ってきてくれた。「いやー悪いね、ありがとう」と言って、お客様に加工して200円で売る。「八百屋さんのお陰で200円儲かったから、100円渡すよ」。同じ100円を渡すのでも、こういう発想で考えてみたらどうだろうと言ってました。その場で現金で仕入れる訳じゃないんで、月末に支払う訳ですから、儲けた中から「ありがとう」と言って支払う関係にすればいい。業者との間が上下関係だとね、お金が循環していかない。ただでもらったモノを200円で売ったから、「ありがとう」と100円を返せば、循環ができるんだと。これが持続する循環型の社会かは分かりませんが、この発想でいくことが、モノとコトの違いなんだと神谷さんはおっしゃっていました。我々が「エコステーション」をやってきて分かってきたことがいくつかあります。私たちが何を売っているのか。20世紀のすぐれたビジネスモデルは、流通の大型スーパーの物流が発達して、全国画一的な商品を、一定サイズで一定品質で、大量に全国津津浦々まで流す。こういう同じモノを我々は売っている。いつの間にか、スーパーと小さなお店で店頭にならんでいる商品が同じということもある。これがモノの時代です。コトの時代に我々は何を売るのかというと、こういうネットワークで全国を見てみると、画一化した商品ではなく、これをそれぞれが発掘して紹介し合う。そうやって別のモノが売れるのではないか。いろんなシステムができてきたので、それを利用して情報を交換しようと。例えば、この携帯。最近はカメラにもなっています。私が今、山形にいるよとカシャッと撮って、すぐメールで送りますと、情報が届く。例えば宮城県の三陸沖で今、魚を釣ったと、それを写真でメールすれば、九州へ和歌山へと情報が届く。このサクランボ、こんなにきれいよ、カシャッ。こういうリアルタイムの情報交換ができるシステムをみんなで作ろうよ、ということがネットワークの一つでございます。宮城県沖の地震は、M8のヤツが30年間に99%の確率で起きるそうでございまして、東京もこの前、内閣が発表して、直下型は30年間に70%の確率で起きるらしいと。山形はほとんど来ないと思われていたんでしょうけど、内閣の発表では断層があるから30年間に30%の確率だとか。この地震対策を商店街が考えたらどうなるんだと。我々は東京にドンと起きたら山形に避難させてよ、宮城県の志津川でドンと起きたら東京に避難させてよ、ということでございます。それを共済保険のようなものを作って、年間5000円払ってもらって、いつでも2、3ヶ月疎開できるようにして、地震がなければ各地域のその土地で発掘した、そこいらじゃ売っていないものをもらえると。我々の商店街が商売を考えると、地震 だってビジネスになる。起きたら疎開に行くけど、起きなかったら物流で特産物が流れる。疎開に行く山形ってどんないいところなんだ、疎開に行く前に見に行かないと、と思えば旅行が商品になる。こうやって日頃仲良くしながら、地震が来るぞって狼少年じゃなしに、地震をネタに儲ける。リサイクルも、「リサイクルしないとね」って言いながら、でもそれをばかり考えているとみんな行き詰まるから、リサイクルを手段にして客を集めるネットワークを作るのが、21世紀の商売じゃないかと話し合いました。
佐藤 神谷モデルですが、その先もたぶん、お店の人がお客様にただでやって、すごくおいしかったって200円持ってくるという考え方まで発展するとすごくおもしろくて、但しそれは100年前、50年前の日本で行われていたかもしれませんね。
藤村 そうですね。ただここで問題なのは、何を200円で売ったかということなんですね。それはモノを売ったんではなく、お客さんに何かプレゼントして、そのレストランにいた人が凄く楽しくて、会話が弾んだ、その為の食事を売ったんだと。だからお客さんが400円を払いたいくらいだと言いながら200円払ってくれれば、そういうことになるんじゃないでしょうか。
佐藤 これからの商店街を考える上での非常に大きな示唆があったかと思います。それでは、第4分科会の三浦さんにお聞きしたいと思います。ここではエネルギーという、今までの商店街ではあまり出てこない切り口だったかもしれませんね。
三浦 「エネルギー自立を目指したまちづくり」ということで、二人のゲストをお招きして議論しました。全体のキーワードが「サスティナブル・コミュニティ」、「サスティナブル」がキーワードになっているわけですが、エネルギーや環境に関わる分野では、この言葉は非常によく使われるんですね。ただ商店街とどう繋げていくかは、正直見えにくい中で分科会を始めましたが、今日も他の分科会の報告をお聞きしながら、根底に流れるものは共通する部分が多いのではないかなと感じています。「サスティナブル」とは一体何を目指しているのか。もう一度確認しておかなければいけないことじゃないかと思っていて、先ほどの早稲田商店会はたまたま環境だったんだという話がありましたが、たまたまと言うには非常に大きな流れが環境の中には動いておりまして、もう一つ重要なのは、環境を通してお金が動くようになってきていることだと思います。特にエネルギーの分野で言うと、地球温暖化という問題を抱えているわけですけれども、これを経済ベースで動かそうとしているところがあります。こういう問題を、商店街が、いやむしろ地域、国がどう受け止めていくかを真剣に考えていかなければならない。環境と経済は別の問題ではないんだと。そういう意味ではエネルギー、グローバルな環境問題に商店街がどう取り組んでいけるのか。これが一つのテーマになってくるのですが、先ほど青森は「コンパクトシティ」が一つのキーワードになってきているというお話がありました。これも全国的に問題が指摘されてきているんです。特に地方都市の中では、コンパクト化を図らなければならない状況、これは車が影響して、どんどんスプロール化してきている。車社会の課題として出てきているわけです。それと共にもう一つは、もう人口が伸びないということも盛んに指 摘されています。都市計画の中でも人口が減少していく中で、都市を縮減していかなければならないという議論がかなり本格的に始まっています。どう畳んでいくのかという現状で、中心市街地がどう生き残っていくのか。おそらく生き残っていかなければならないだろうという議論ですが、そうした戦略を持っていく必要があるのではないかと思います。そういった都市構造の問題と共に、エネルギーをテーマに挙げているんですけれども、水や空気は私たちが生きていく上で必要不可欠なものですが、エネルギーも私たちの生命線のようなものになっているわけです。その問題はやはり地域の中で考えていく必要がある。ということで自然エネルギーが出てくるわけです。特に地方では自然エネルギーを作り出せる能力、ポテンシャルが非常に高い。地方には自然がたくさんある。一方、自然を生かしたものでは農業があり、林業があり、そういったものと商店街との繋がりが、今まではあまりなかったのではないかと。エネルギー問題はそれだけを孤立して考えられてきたと思います。もう一つは、環境が誰が作ってくれているのか。例えばエネルギーは誰が作ってくれているのか。どこからのエネルギーを私たちは使っているのか。中東から戦争に巻き込まれながらも運ばれてきて、私たちは平然として使っている。その自給率が4%にしか満たないという、非常に危うい状況の中に私たちはいるということ。そういったことが「おまかせ民主主義」という言葉もありますが、「おまかせ環境社会」、或いは「おまかせまちづくり」が、環境の中でも起こっているのではないかなと思います。そういうものを打破していくためには、例えば食べ物なら、誰がどんな風にどこで作っているのか、最近は言われるようになってきていますが、エネルギーにおいても同じようなことが言えると思います。そういう意味では見えるエネルギー、見える環境づくり。さらに広げていくとしたら、まちの中で意識的に戦略的に作っていく、見える環境のまちづくりが必要なのではないかなと思いました。ゲストからはバイオマスエネルギーの話で、地域のエネルギーにはいろいろあるんではないかなと。生ゴミからガスを取ったり、天ぷら油からのバイオマスディーゼル燃料などについても報告を受けたところです。そういう身近なところからエネルギーは取れるんだと。そこに気付かされていくと、私たち自身の自給できる力にも改めて気付いていくと共に、いろんなところで環境が見える仕組みが作れるんではないかと。例えば顔の見える商売が問われていると思いますが、エネルギーも同じです。この辺で、商店に求められているものと、環境に求められているものの繋がりに、何かあるのではないかと感じられたところです。具体的な例で言うと、山形で菜の花を植えている農家が少しずつ増えてきているんです。元々は日本全国どこでも見られた作物ですけれど、もう一度菜の花を植えながら、そしてそれを絞った油を商店街の飲食店で使ってもらう。その飲食店から出てきた廃食油を、知らない場所ではなくまちの中で再加工して、ディーゼルの循環バスを走らせるために使う。そしてお客様に乗ってもらう。またその飲食店に行ってもらう。そういう地域の連携をつくっていけるのではないかということなどは、一つの例として、すぐ見えてくるわけです。先ほど理念が必要であるという話もありましたが、環境も共通理念として掲げやすいと思いますので、グローバルな環境という意味でも模索できればなと思います。
佐藤 見えるエネルギーづくりをするために、商店街は極めて効果的な場かもしれませんね。物に対する説明、商品に対する説明、いろいろあると思うんですが、その中で環境やエネルギーについても商店街で積極的に紹介していく、情報の発信・交流の場になっていけばいいのではと思います。最後の第5分科会も変わった視点で、今度は子ども達について議論をしていただきましたので、中村さんお願いいたします。
中村 「子ども達と商店街」ということで、私の他に、分科会の会場となりましたNANA-BEANSの5階で子育てサークルのネットワークをつくりながら、子どもと家族が過ごせる場所を提供する「子育てランドあ〜べ」を運営する野口さんと、鶴岡市でご自身も商店主として「だがしや楽校」という、名前を聞くだけでワクワクしそうなイベントに取り組んでいる阿部さんに、その取り組みを発表していただきました。「だがしや楽校」は、縁日のような雰囲気だなという感想なんですけれども、地域の人と子ども達が関わりながらいろいろな体験ができる場であり、とても大きな学びの場です。これを月1回定期的に開催されていて、商店街の方たちが一致団結してされているのかなと思ったら、決してそうではなくて、阿部さんは「私は異端児です」 とおっしゃっていました。多くの反対がある中で、とにかくやれるところからやりましょうと10年前から活動をされて、だんだん参加する方を増やしてきたようなお話でした。最初は提案しても、「そんなことやっていくら儲かるんだ」と却下されてしまうところを、少しずつ参加者を増やしていかれた経過がともて印象に残っています。野口さんの子育てネットワークの活動で興味深かったのは、商店街でどんなサービスがあったらうれしいかという調査をされていて、子育て中のお母さんは消費者としては少数派ではないと思うんですけれども、子どもを連れて買い物に来ることはなかなかできないと感じている。どうやれば商店街に来られるようになるのかという、消費者が求めているところを直接調査されたんですね。商店街にとって、こんなにおいしい話の活動はないですから、さぞかし連携して行われたのだろうと思ったのですが、ここでも、野口さん達から商店街に働き掛けることはあっても、商店街の方から声が掛かることはあまりないそうで、もっと関わりを持って欲しいとおっしゃっていました。私が発表させていただいたのは、地元千葉県佐倉市の商店街を会場にして、18歳以下の子ども達だけが市民になって、好きな仕事を選んで、好きなだけそこで主体的に働いて、そこだけで通用するお給料を稼いで、自分たちで自由に使う。市議会や市役所、市長選挙も子ども達で運営して、4日間のミニ模擬都市・遊びのまちを運営していくイベントを過去2回やったんです。そこで、子ども達が自分たちが住む街、環境に、大人が思っている以上にとても関心を持って、そこが自分のまちだと思った時に本当に良くしようという思いを持つようになって、実行することができると活動の中で感じてきました。商店街でもやらせていただいて、また来年の3月に向けて準備をしているところなんですけれども、寂れてしまった商店街に、子どもだけでなく予想以上にたくさんの人が集まってくるので、商店街のみなさんも喜んではくださってはいるんですけれども、商店街としての組織もちゃんとしてはいないので、団結してこのイベントに取り組もうという意識はほとんどないんです。3年前にやった時よりも、今回はさらに気運がなくなってしまっていることを感じながら、どういう風にしたら関わりを持っていただけるか模索しているところです。こうした発表の後に、会場のみなさんのご意見をいただいたんですけれども、阿部さんからは、商店街も変わってきてしまった時代の中で、日々の商売を優先させてしまう。商店街はまちの重要な要素ですから、子ども達と関わりを持って欲しいと思いながら、NPOという非営利をうたっている団体では簡単に関わることが難しい状況で、中間支援のようなものが必要ではないかと、おっしゃっていました。会場からは、子どもの目線や声をもっと聞いてもいいのではないかという意見もありました。商店街が、赤ちゃん、子ども、お年寄りも含めて、家族を迎える雰囲気が欲しいねと。それは大がかりなことではなくて、ちょっとしたアイデアを取り入れることで実現するんだという意見も出ました。例えば、とてもちっちゃなメリーゴーランドがあるだけで、子どもは喜んでそこへ行くようになるんだと。私が商店街の人たちにお願いしたいことは、子どもはそれほど大きな額を使うお客様ではないかもしれないし、買い物に来るのではなくぶらぶらするだけで、ご商売の邪魔になるのかもしれないですけれど、そう言い切ってしまわずに、もうちょっと子どもと関わっていただくことで、子どもにしか分からない発想で、目から鱗が落ちるような、商店街にとってもプラスになるヒントを与えてくれると思います。子ども達がまちの中で自分の居場所を見つけられるような、いろんな世代の人と関わりながら、子ども達が活躍できるような場を作っていけたらいいなと思っています。
佐藤 子どもの発想や消化能力って凄いですよね。まさに目から鱗で。まちづくりでも、子どもの参画は盛んに言われていますが、まだまだ子どもと同じ目線で話し合うとか、耳を傾けるというのが少ないように思いますね。子どもとお年寄りは、商店にとってのお客様とは違うように受け止められているようですけれども、子どもの発想力は私も凄いと思います。今、5人の方から分科会の内容を踏まえてお話を頂戴しました。あまりにもテーマが多岐に渡って、ちょっと頭が混乱するかもしれませんが、菊地さんはどんな感想をお持ちでしょうか。
菊地 本当に、それぞれに納得させられることばかりで、これを全部一緒にやろうと思うと、消化不良を起こしちゃうなっていうところもあると思いますが、コンセプトやビジョンを作らなければならないということを非常に感じます。福祉や環境など、いろんなキーワードがあると思うんですが、突き詰めていくと、結局は根は一緒かなとも思います。今回、「サスティナブル・コミュニティづくり」というテーマにしたのは、それを総括する言葉がないかなと、感覚的な捉え方なのかもしれませんけれども、今の商店街で取り組む問題とか、ビジョンを掲げる先にこの言葉があるのではないかという、半ば仮説的なテーマなんです。商店街で福祉や環境に取り組もうとしても、専門の団体から見れば、赤ちゃんのような状態になるわけで、完璧に福祉をやりますということは難しいのかなと私は思います。ただ完璧を求めないが故に、各先生がおっしゃった商店街のいろんな分野のことを、少しずつ取り入れていけるのかなと思っております。失礼な言い方になってしまいますが「早稲田は環境のまちです」と言っても我々は分からないですよね。話をよくよく聞くと、ああ、そうなんだということはありますが。そういった意味でも、小さなことでいいですから、自分たちのまちは自分たちで作ると。どこかのモデルになる有名なまちをそっくり真似たところで、絶対に自分たちのまちがそうなるわけではありません。やはり、自分たちのまちを知っているのは自分たちしかいないのですから、自分たちで作っていくことが必要なのかなと、改めて感じました。子ども達に関しても「七代先まで誇れるまちづくり」ということで、何か行動を起こす際には、子どもという当事者に話を聞くことが大事だなと思いました。いずれにしましても、これを全部やろうとすると、一生かかってもやれるかっていう感じですけど・・・。
佐藤 「七代先」という言葉ですね、なぜ、唐突にこの言葉が出てきたかと言いますと、ネイティブアメリカンの非常に重要なルールがあって、何かを決めるときには「七代先の子ども達にとって、どういう影響があるのか」ということを基準にしていると言われているんですね。環境・福祉も含めて、まちがおかしくなっている、社会がおかしくなっている極めて大きな理由は、非常に目先の活動ばかりしてきた結果ではないかなと思うんです。そういう意味で、ネイティブアメリカンの知恵を学ぶ必要がある。でもこれは実は、数十年前に日本にもあった文化なんですが、それをきっちりと維持している一つが、私は商店街だと思うんです。それで、この会をやる前にいろいろ議論があって、「七代先」という言葉が出てきたのでした。今、菊地さんから話が出ましたが、全部はやれないですよね。それから、やるべきかどうかという視点で取り組むのは、リサイクル商店街の主旨ではないんですよね。安井さんや藤村さんがいらっしゃいますけれども、要するに「べき」ではなくて、それに取り組むことが、商店街が大きくなるポイントなんだよ、というところが多分にあります。「何々すべきだ」ということになると、どうしても持続できない。だからもっと自分の問題にひきつけながら楽しみながら、それを材料にしていこう。それが結果として、安全、安心のまちになっていくということがすごく大切なんだと思います。そうやって考えていくと、今のお話の中にも重要なキーワードがあったかと思います。例えば、つながり、自立、ビジョン、さまざまな人の居場所といった言葉が出てきました。さて、ここからはざっくばらんなやりとりに入っていきたいと思いますけれども、これからの商店街にとって、商店街を元気にするために、こんな考え方が必要なのではないか、といったあたりを議論していきたいと思います。加藤さん、いかがですか?
加藤 その前に一つ、私もだいぶ前から、商店街の活動として子育て支援に取り組んでおりまして、いろんなNPOと話をしています。中村さんから商店街を巻き込むのが難しいというお話がありました。でも巻き込もうと思わない方がいいです。巻き込んでいけるものじゃありません。しゃべって「はい、そうですか」となるなら、商店街がこんな風になってないですよ(笑)。そして、そういう風に思わないとダメですよ。そっからスタートすることですよ。それからね、子ども達が行っても邪魔にしないでって言うけれども、商店街には子ども達すら来なくなったんですよ。分かる?子ども達すら来なくなっているんだから、来たら大喜びですよ。そういう発想をしていって欲しいの。じゃ、誰に話をするんですか?個人ですよ。商業者の中でも俺みたいなバカが、あ、この会場にもいっぱい居るけれども、そういうのが必ず居るんですよ(笑)。その人に話しかけるべきです。そこからネットワークが広がっていくんですよ。組織や団体に固執したらダメだっていうことです。私のメッセージは、これからの商店街活動、まちづくり運動というのはすべて、個人ですよ。個人をどう使っていくのか、リーダーをどう育てていくのか。私達も含めて、この世の中に少し早く生まれた人達の責務だと思います。山形で言えば、結城大先生が次代の人たちをどう育てていくか。動きやすい環境をどう構築していくか。先輩達、過去に頑張ってきた人たちの務めなんじゃないでしょうか。その事に一番早く気が付いたのは誰ですか?商業者でもない、地方行政でもない、会議所でもないですよ。国ですよ。経済産業省や中小企業庁が先に気が付いて、まちづくりリーダー育成事業を一生懸命やろうとしている。個人に対してどれだけの支援ができるのか。個店に対してどんな支援ができるのか。リーダーを作っていくことが、そのまちを伸ばしていく、大きくしていく要因なんだということで、今年からの制度に組み込んでいくんです。それを私たち商業者がどう受け入れていくのか。これが大事な問題になっていくんじゃないかと思います。
佐藤 人と人、人がキーになるということですね。
藤村 中村さん、加藤さんのおっしゃる通りなんですが、安心してください。11月に佐倉市に「エコステーション」ができます。だから、この「エコステーション」の仲間達と、佐倉市の商店街も仲間になりますので、そこから何か切り口ができるかも分かりません。けれども「エコステーション」ができたからと言って、加藤さんがおっしゃっるように、商店街がまとまって中村さんを応援しようなんてことには、決してなりません(笑)。しかしその中で、加藤さんが言われるリーダーや応援団が少し出てきますので、そこでうまくネットワークをつくっていただく。子ども達の関連でいきますと、商店街は気が付いていないんですけれども、まちの中にいて、毎日座ってまちの方を向いているなんていう人種は、商店主しかいないんですよね。今まではまちなんて見ていませんよ。お客が来るかなと思って見ているだけですけれども、どうせ座って道路の方を向いているんだったら、まちの方へ向くと。行政でもなんでも、まちの中に座ってまちを見ている人をどう活用するか頭を切り替えますと、セキュリティにしても役割を担う人間が商店街の中におると。つまり商店街が暇なほど役に立つと。そこでまちを見たら繋がりがでてくる。基調講演で川村先生がおっしゃったように、コンクリート3面張りの効率的に水を通す水路から、みんなで関わって木を植えて、水が溢れたり、葉が落ちたら掃除しないといけない、みんなで関わる川に持っていくという基本的な考え方の流れにする。みんなで共通した商店街も同じで、コンクリート3面張りの川みたいに物を流せば、人も近寄れないし、流している水が汚かったりして、みんなそこに行かなくなる。それを浅いせせらぎにして、木を植 えれば、虫や鳥も来て、えらい面倒臭いけれども、子どもも関わる、周りのNPOさんも関わる、行政も関わると。その中で「このサクランボの木はちょっと変わっているぞ」とか「この水たまりに、こんな魚がいるね」とか、そういった視点で見ていくと、いつも東京から送られてくる物流の商品ではなく、地域の中の個別の安全・安心でおいしい商品が見つかって、それを自分たちで全国の「エコステーション」の仲間に売ろうとなる。商店街は自分のためにやるんじゃなしに、地域のモノを全国に売ってやろうとお考えいただくと、商店街は地域活性化の核になる。商店街活性化をみんなに助けてもらおうというのではなくて、商店街がみんなを引っぱっていくと考えることができるのではないかと思います。
佐藤 白木さん、コンクリート3面張りの用水路は、まちでも同じことが行われているんですね。非常に興味を持ったのは、道路は人が歩くところではなく、車が通るところになっていますけれど、車の運転をやめて6年、辞めると何が変わりますか?
白木 辞めるとですね、大変です(笑)。こんなに車が便利だったのかと、やっと気が付くんですね。そして、バスと電車がこんなにも使いにくいものかと思い知らされます。なんで車を辞めたかと言いますと、家のかみさんから、「公共交通とか言っているけど、自分が運転していてなによ」って言われまして、こりゃいかんと思ったんです。でも辞めれば辞めたで、周りの人に対して困った顔をすると「乗せていこうか」という話になって、一つのコミュニケーションにもなっていくんですよ。一人で乗るより二人で乗る。その方が楽しいわけですから。こういったことも、辞めて初めて気付くことですね。それと中村さんが子どもの意見も聞いてくださいというお話がありました。本当にその通りだと思います。やはり当事者の意見、発想は大事ですよね。そこでもう一つ大事だと思うのは、自分でも体験してみるということ。例えば商店街の中でじっとしているよりも、まちの中をウロウロしてみると。熊本から来てみて思うんですけれど、どうもこのまちの信号は長いなと。みんな赤の間は何で渡らないんだろう、僕は赤でも渡ってしまうのにというくらい。警察の方がいたら怒られてしまいますけれど(笑)。たぶん使いづらさってあると思うんですよ。それはまちの中をブラブラしていくと探検できるものです。バリアフリーの点でいえば、いろんな段差でひっくり返ってみて、痛いという実感で、こうしないといけないなって気付くわけですから。特に台風で思い知らされたのが、これでいよいよ危ないなと、九州はもうダメかもしれないと思うくらいに凄かった。神様に手を合わせてごめんなさいと祈り続けるしかなかった、情けない話ですが。こういったことが増えてきますと、先程 も言いましたけど、やはり我慢をもう一度考えてみる。あの信号の我慢もほどがあると思うので、動きやすさとか、使いやすさとか、そういった物も含めた我慢の度合いってそれぞれにあると思うんです。提案として「ゾーン30・ゾーン20」、この言葉に抵抗を感じる方もいると思うんですけれども、いつでも止まれるスピードが20キロ、30キロという風にまちの中で決めることで、横断歩道を作らなくて済む、という考え方も一つあると。車は本当に便利です。ですから車を嫌うのではなく、いかに車と共存していくか。まちの中で、車を運転している人たちと考えていくことが大事なんじゃないかなと感じます。
佐藤 せっかくなので、「ゾーン30・ゾーン20」の話をもう少しだけお願いできますか?
白木 ヨーロッパではもう当たり前になりつつあるんですが、例えば七日町のこの区間を「ゾーン30」の地域にしてしまうと。車のスピードを30キロ以上は出さないと。いつでも人がウロウロしていて、危ないと思ったら止められるような、徐行運転をすると。初めて聞く人がたくさんいると思うんで、この言葉が一人歩きして、制限速度30キロだというように置き換わると困るんですけど(笑)。何が本当の情報なのかを確かめるといった作業も、自分たちは12年間ずっと、個人的にもやってきたんですけれども、ものを見る視点っていうんですかね。これは非常に大事だろうなって思います。
佐藤 たぶん白木さんがおっしゃったように、制限速度の話ではなくて、視点を変えるということだと思うんですね。人間を中心に考えていくと、なんで自動車に合わせて横断歩道を造らなければならないのか、信号を置かなければいけないのか、それに人間が従わなければならないことに気付くわけですよね。歩行者を中心に考えた時の交通のあり方みたいな話だと思うんですけれども、同じようなことが、たぶんいろんな分野であると思うんですよ。ある制度、ルールが決まると、どうもそれが我々の生活を律してしまう。どうも不都合があったとしても、そのまま受け入れて我慢をしてしまう。そこら辺を大きく見直す時期に来ているのかなと思います。三浦さんもエネルギーや公共交通の問題にも関わられているんですよね。そういう視点から見ると、今の商店街やまちのあり方にいろいろ問題意識をお持ちだと思うんですけれども。商店街を元気にすることと、つなげながらお話をいただけるとありがたいのですが。
三浦 私は山形に来たのが十数年前になるんですが、それ以前は東京にいまして、山形に来た時は山がいっぱいあって、川があって、いろんな所に案内してもらったんですけども、実は街中の暮らしに違和感を感じました。先ほども佐藤さんと話をしていた時に、暮らしやすいのが山形ですよと、ただそれがいいのかどうかは別問題だと。非常に楽なんですね。車でどこでもいつでも簡単に行けるという暮らし。ただそれは車を前提にしています。山形は日本でもトップクラスの車社会です。これはエネルギーを大量に使う社会です。持続不能な社会と言える。商店街の活性化という面においても、駐車場などいろんな問題で郊外中心になっているのも、この車社会をどう見つめ直すのかっていうことになっていく。もうちょっと違った街並みっていう観点でみても、車で通り過ぎていく街っていうのは、街並みをあまり意識しない、そういう街をつくっていくんではないかなと思うんですね。やっぱりウィンドーショッピングじゃないですけれども、ゆっくり街の環境を味わっていくためには、やはり車ではダメなんではないかなと。最近「スロー」なんて言葉もありますけれども、人を中心とした歩きたくなる街づくりが必要なんではないかなと。それが結局は商店街の活性化、あるいはグローバルな意味での環境を守っていくことに繋がるんではないかなと思うんですが。
佐藤 歩くと楽しい商店街。昔は楽しかったんですよね。子ども達の魅力の場であったし。歩いてもあまり楽しさを感じなくなっているのかもしれませんね。子ども達にどう見えているのかっていうのは、大人達が考えているのと違うのかもしれませんが、中村さん、「ミニさくら」をやっていて、子ども達は働くことが凄く楽しい、ワクワクすることだと。それは大人達が考えていたのとはちょっと違ったわけですね。子ども達には働くとか、お店とか、商店街っていうのは、どう見えているんですかね?
中村 子どもの頃のママゴトで、お店屋さんごっこって盛んにされたと思うんですけれども、お店には、お金と物をやり取りしたり、いらっしゃいませ、ありがとうございますって会話を交わしたりと、子どもにとって魅力的な要素がたくさんあって、いろんな種類のお店だけでなく、家では見られないたくさんの仕事があります。子ども達にアンケートを取って、何が一番おもしろかったですかって聞いたら、働いたことって書いた子がいっぱいいて、ほとんどの子が働いた内容を答えていたんです。いろんな要素がある中で私が思ってもみなかったことは、働くことを通して、自分と「ミニさくら」という遊びの中に、関わりができているわけです。自分が「ミニさくら」の新聞社にいて、取材して記事を書いて新聞を作って、それを街の人が買って読んでくれる。看板屋で看板を作って、それが別のお店の看板になる。そういう繋がりが小さな模擬社会の中で、分かりやすく見えて、自分の役割があるということが、生き生きと活躍しできた源なのではないかと思います。基調講演でも出ていましたけど、手を掛ける、関わりを持ち続けるということで、子どもに限らず誰でも自分たちの何か、自分たちの街、自分たちの水路という意識が生まれて、子ども達も一人前の市民として働くことを通して、自分たちの街という意識が生まれて、それで初めて良くしていこう、変えていこうという思いも生まれて実現することができる。子ども達にしかない発想はいっぱいあって、それを発揮して、まちを変えていく力もあるということを、みなさんに訴えたいです。子ども達も地域の一員であるという風に考えて、まちづくりを進めていただきたいと思います。
佐藤 菊地さん、七日町商店街は子どもたちにとって魅力的なところですか?
菊地 当事者じゃないのでね、なんとも分からない部分もあるんですが、地元の小学校でも商店街のことは取り上げていまして、総合学習の一貫として「七日町商店街の活性化」というタイトルでやっているんですけども、我々以上に子ども達の方が進んでいるのかなと思うくらい、まちの中を散策してレポートをまとめているみたいです。確か、早稲田商店会でも「子ども防災探検隊」なんていうのをやっていたり、どんどんまちを使って学びの場にしてくださいというのは、全国でやっているようですね。小学校3年生位になると、社会科の授業として七日町商店街の見学に来るんです。山形市の場合は、幸か不幸か七日町商店街が利用されていまして、そういう点では、まだ七日町もいろいろやれることはあるのかなと思います。
佐藤 子ども達についての議論がありますが、加藤さん、高齢者やハンディキャップをお持ちの方にとっても、商店街というのは魅力的なはずですよね。
加藤 私はそれが一番だと思っています。私共は特に「福祉対応型商店街」ですので、どちらかと言うと弱い方の人の立場に立った視点でまちづくりをすることが、人にやさしいまちづくりになるという発想なんですね。子ども達はもちろん大事ですよ。子ども達を対象にしたイベントは一番人が多く集まります。なぜかというと親やおじいちゃん、おばあちゃんが必ず付いてくる。だから我々も数多くこなします。特に絵を描いてもらったり、何かを作ってもらったり、そして各商店に飾ることがすごく連携になるんですね。我々は定期的に、220のフラッグアートに絵を描いてもらって通りに飾っています。ねぶたの期間中は、子ども達にねぶたを作ってもらって、各お店のショーウィンドウに飾る。これも連携に繋がっていると思うんですね。そういう中でハードなことに対しても、電動スクーター宅配事業、共通駐車券、スタンプ事業など、すべて高齢者を中心にした活動を進めているんです。特にお金をちゃんと使ってくれますよね。今、街中にどんどんマンションを建てていますけど、買っている6割以上は高齢者のご夫婦です。全部郊外から移り住んでくるんです。死ぬまで雪かきするのは嫌だという理由ですね。そういう方にとって一番便利なまちを作っていこうというのが、我々の政策なんです。そうすると、特に若い人に対する対応は、何もしなくていいんですか?という問い掛けも多く来ます。その時いつも言うのは、特段の政策を作らなくても、若者向けのスポットさえあったら若い人たちは黙っても来ますよ。その証拠にいま「アウガ」には、物凄く若い人が来てます。しかしもっと新しいものができたら、そっちへ行くでしょう。そして彼らはたくさん来るけれども、たいしたお金は使いません。携帯の通話料で目一杯なんですね。私が今から18年前に店をやった時に、うちの商店街は約200店舗ありますが、ミセスを中心にした安い値頃のブティックはうちだけでした。ところがどうでしょうか。今は物凄い数に増えました。いわゆるカジュアル、若い人の路面店がどんどんダメになって、全部ミセスやシニアに変わってきているんですね。そういう傾向が確実にあるし、これからも高齢者が元気になって、頑張れるまちが強くなって、多くなっていくんじゃないかなという気がしています。
佐藤 加藤さんにとっては全住民が店員ではないですか?あるいはボランティアスタッフですね。
加藤 そこまで言い切れたらいいんでしょうけどね(笑)、できればそうしていきたいなと思っています。
佐藤 そういう意味だと、藤村さんがおっしゃった、モノを売るんではなくて、何かコトを売るとか、物語を作っていくとか、世界を広げていくとか、商店街の新しい役割みたいなものができてきていると思うんですが、これからの商店街のイメージを一言ずついただけないでしょうか。
中村 ありきたりなことですみません、でも小さな子どもの居場所になれる、地域の人たちと出会えるコミュニティとしての商店街というのが、増えていったらいいなと思っています。
佐藤 買いたいものがなくても、ぶらっと行けるような、広い意味でのテーマパークの様な場であってほしいと。
中村 はい。おこづかいを大して持っていなくても、ウロウロできて楽しいような。おじちゃん、おばちゃん、お兄ちゃん、お姉ちゃんと出会って、関わりが持てる中心スポットですね。
三浦 特に中心市街地ということを言いますと、商店街が活性化するということは環境にとって必ずプラスなんです。ですから活性化していただきたいという意見です。その時に活性化が先なのか、環境保全が先なのか。僕はどっちでもいいと思っているんです。ただ、あまり商店街の活性化を全面的に出してしまうと、理念というか、地域全体の合意が得られるのか。「あそこの店を儲けさすために」なんていうことになってくると、なかなかまとまるものも、まとまらなくなってくるのではないかと思うんですね。そこで、もう一度理念として、商店街が環境に果たしていく役割というものを、街全体として打ち出していただければ、新しい展開も生まれてくるのではないかと。特に「エコステーション」をもう少しグローバルな環境として広げていけば、地球レベルでの合意ということになっていく、地球レベルでの商店街の活性化になっていくんではないかと思います。
佐藤 商店街が元気になることが環境問題の解決にもなる。それは商店街の問題だけでなく、社会が共有できる状況を作っておくことが大事ですね。
藤村 それは無理やと思うわ。そういうことを言っているから、環境問題は俺たちには遠い問題やな〜と思ってしまう。いきなり地球温暖化とか言われても実感なんてできないですよ。そういうことではなくて、我々はリサイクルを動機不純で集客にして、逆にそれを続けていたら、環境問題も身に入ってきたと。環境保全だ、リサイクルだってペットボトルを一生懸命集めていたグループは、だいたい3年で潰れていくんやけど、我々は9年続けている。普通は「空き缶をリサイクルしなさい」「当たり前じゃないの、地球の為には」とか言うけど、我々は空き缶持ってきてもらうと、チケット持って客が来るぞ、来るぞと思うから、「あぁ、ありがとうございます」って頭を下げる。仕入れの八百屋に「あ、お前そっちに置いておけ」って、金払っている業者なんだからと、こっちが偉くて当たり前なんだみたいな態度を取るのと同じように、リサイクルは当たり前なんだと、それはあなたの責務なんだから、というのではなくて、「ありがとうございます。おかげさんで儲かりますわ〜」とやっていると、だんだん街の中の、50店舗あれば3店舗位は、まちの方を向き出すと。そしてまちのことを考え出すと。それを「商店街がビジョンを持って、全体でやる」と言い出すと、概念になってしまって誰も動かない。それよりも、動機不純なことを地道にやっていると、3人位が動き出して、それがまちの他の人たちと連携をしてくる。中のメンバーがどんどんでき上がってくるのではなくて、3人や5人がまちの外の人たちと連携して、今日のように他の地域の人たちとも連携してくる。早稲田商店会だって、みんなで考えているわけじゃないですよ。古い商店街ですから、半分位はボケ防止で寝ています。「俺もう商売やめようか」って言うと、「やめない方がいい。やめたら呆けるぞ」 と、ボケ防止で商売をしておられます。そういう人に、「頑張って、まちの理念で、まちのビジョンでやらんか」って走らせたら死にますよ(笑)。だからみんな反対するんです。商店街の人たちはまとまりが悪いとか言いますけど、そうじゃない。ボケ防止で寝ているから、走るのが嫌なだけ。それを行政の人なんかは特に、「みなさんのコンセンサスが必要です」とか言ってくる。「コンセンサスでビジョンを作って頑張りなさい。だから補助金を出してあげます」で、それでやろうと思ったら、後ろから足引っ張ったり、どついたり、引っかけたりね。だから静かに寝かしてあげる必要もあるわけで、走りたいやつが走れば自然とネットワークもできてくると。それが商店街の活性化いうやなしに、どっちかゆうたらまちづくりになるということなんです。ですから、この商店街の活性化、いかに儲けるか、集客率をあげるか、大会社がどうだとかも、それはそうなんでしょうけれども、まちづくりに何人かがだんだん参加してくることが大事なんですね。現実、我々はそういう風になっているんではないかと思います。
佐藤 この議論は大変おもしろいところなんですが、これは一度お二人でやりあっていただくといいですよね。ではその予告の反論を三浦さんから。
三浦 私は申し上げましたように、活性化と環境保全はどちらが先でもいいんです。理念も極論から言えば、本当はなくてもいいんですが、それは建前として必要であろうと。「エコステーション」 もそうですが、動機づけが非常に重要だということは、私も認識しております。ただ理念と手段は分けて考えないといけないでしょう。理念も大事ですけど、実践、手段が問われているだろうと。そこにおいては、あの手この手を使っていかなければならないですね。そこで私は経済的な手段が必要だと思っているわけです。早稲田も遊びを含めた経済的な取り組みの手法の一つだろうと思います。私共もそれを真似しようとしておりまして、この山形県でもいくつか取り入れてやろうとしております。時間がありませんから、その説明は致しませんが、動機づけも商店街の活性化に活かしていただければと思います。
佐藤 話していたら、たぶん同じ所に行きつくんだろうと思うんですね。私は前から気になっているんですが、藤村さんも動機が不純だとおっしゃっていますが、不純というより、素直な動機ですよね。これは加藤さんもおっしゃいましたが、商店街などまとまりようがないというお話もありましたし、いろんな形で取り組んでいくことが重要でしょうね。この議論は必要に応じて、いつか企画していただくとして、白木さんお願いします。
白木 はい、人はですね、楽しいところにしか行かない。寂して暗いところより、楽しいところに行くと思うんです。人がどうも気になって、毎日行かないとすまんな〜という風な場所を作っていくことが大事なんだろうと思うんですよ。それで人が儲かれば、二重丸、三重丸だし、そういった場所をどうやって作っていくか、それは地域の人たちにしか分からないだろうなと。たぶん山形だけでなくて、熊本でも福岡でも、ショッピングセンターが郊外にできて、駐車場があって、だんだん中心地から老舗の商店が抜けて、なかなか儲からなくなったという話は、よくある話です。いいじゃないですか、主要なところがなくなっていくことは、それで儲かるところが増えていくわけですから。これから住みやすい場所が中心市街地にできてきて、以前は「職住近接」ということで、職場と住む場所が一緒にあったのですから、変なマンションを建てるより、低くて住みやすいまちの中に、低くて住みやすい住宅と商店街が一緒になって同居して、年を取ったら、いつまでもそこで楽しんでいられる。そういった場所ができていくことの方が大事だろうと思ってます。私もずっと環境のテーマに取り組んできましたが、やればやるほど思うのは、地球にやさしくとか言ってますが、地球にとってはどうでもいいんです。地球は早く人間がいなくならないかなーと思っていると思います。地球にとって一番迷惑なのは人間だろうと思うんですね。ですから人間はあまり迷惑を掛けないように生活をしていくことが大事だろうと。切羽詰まってきたら人間は考えます。勉強します。そして何とか生きていくための努力をすると思うんです。人は何人か死なないと分からないようにできているのかもしれませんけれど、とにかく人が楽しんで、毎日気になって仕方がない場所をたくさん作って、今日はこっちに行こう、今日はそっちにいこうと、ネットワークでどんどん繋がっていくことが、長生きできる場所になるんだろうなと思うんですけどね。
加藤 白木さんが切羽詰まるといいアイデアが出るとおっしゃいましたが、まさしくその通りで、困らなければ知恵は出ないと思っています。先ほど「七代先」というお話が出ていました。私は「七代先」まで持続できるまちと聞いた時に、私の中ではもはや永久という感覚なんですね。未来です。中国で言うと未来永劫、永久という意味で使われておりますから、そう解釈しました。また、このパネルディスカッションの最後のメッセージにもなろうかと思うんですが、今日は商店街も一つのテーマになっています。私は商業者として、いつも本音で話をしていますが、特に思うのは、商業者が自分のところの商売を、誰よりも見て商売しているんだろうかという気づきをしているのか、これをいつも考えているんです。自分がどんなお客様に何を売っていくのか、この商売の原点を忘れてしまっているんじゃないでしょうか。商業者はもう一度、市民に向けて、お客様に向けて、やっていくべきじゃないのかなということで、昨年から「一品運動」を進めております。商店街は、一般市民、住民のみなさんに必要なんだと思わせるような半公共施設です。そしてみんなのものです。という感覚を、私たち商業者は努力してどう打ち出していくのか。理解していっていただくのか。ということも運動のプロセスの中に繋がっていくのじゃないかという気がします。私共がこれだけ話をしていても、考え方はみんな違うんですね。私はむしろ理念は必要だと思っているタイプだし、そういう意味では、いろんな考え方の中で、一つの目標に向かって進んでいくことに、連帯感や連携の意義が生まれてくるんじゃないのかなという気がしてなりません。先ほどから私はリーダーと言ってますけど、何も私がリーダーですと宣伝しているんじゃなくて、リーダーっていうのは誰にでもなれると思っているんです。あんまり頭のいい人はリーダーにふさわしくないと思っているんですけど、資質は2つだけだと思っています。1つはすべてを肯定することです。すべての人の話を受け入れることなんです。そこからいろんな議論が生まれてくるだろうと。もう一つは時間というリスクをどれだけ背負えるかなんです。昨日の講師の川村さんもそうですけど、昨日、今日来ている人たちみんな、このパネラーの人たちみんな、忙しくて時間が足りない人たちだと思っております。だけどみんな同じ時間を共有しているんですね。一日は24時間です。1ヶ月は30日なんです。80年生きていくとするならば、29.200日なんです。そういったものを、どれだけリスクとして自分に課せていけるのだろうかと、この2つの資質を持っている方でしたらリーダーになっていけるのではないでしょうか。最後に宣伝になりますけれど、10月4日・5日、青森市で「街づくりシンポジウム」を開催致します。コンパクトシティの街づくりということで市長に講演をしていただいて、長野の服部タウンマネージャーであるとか、私も含めて街づくりを議論いたします。二日目は日本総研の矢ヶ崎さんをコーディネーターに、連携による商店街の活性化をテーマに議論していきます。
佐藤 加藤さん、これでまだ終わりじゃないんですよ(笑)。では、この後は会場からの質疑応答の時間とさせていただきます。会場にいらっしゃる川村さん、では何か一言、感想をお願い致します。
川村 今日は本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。繋がりというものは、自分との距離感を感じることなんですね。理念は天井に飾ってなかなか繋がらないんだけれども、それが繋がった時には、ビジョンになり、共通の目的になっていくだろうと。だから、自分との繋がりをどう取るか。取れたら道ができて、そこへ行けるようになっていくだろう。今までの話を聞いてきて、お話したいのは「縁」です。大事なことは、第7回のサミットが山形で開かれて、普通はこれでよかったねシャンシャンと帰って行くわけですけれど、そうじゃないんだと、ここで縁が生まれたんだと。この縁をこれからどう生かすかということが大事なんです。こういう大会に出ていつも思うのは、終わりになっちゃうのではなく、縁を生かさなくてはならないということです。これからが始まりなんです。ですから壇上にいる方は、もっと私を引っぱりこんだりしながら、これから山形が、自分たちのまちづくりをどうするかということを、スタートさせなくてはいけない。その縁ができたと思っていただきたい。数学者の広中さんという方がいらして、私が時々講師をしている大学の学長なんですけれども、「縁にはゼロから1万がある」というんですね。どういうことかと言うと、縁は二人の関係なんですよね。片方がどんなに思っても、仮に100思ったとして、相手が思わなかったらゼロなんですよ。だから商店街と中村さんの関係も相手に興味がなければ縁がないんです。けれどお互いに思えば、100×100で1万に広がるはず。この後、できた縁をお互いに話しながら、ゼロではなくて1万まで、みなさんがどういう風に伸ばしていくか。ということがとっても大事です。縁は作るものです。もう一つ最後に言いますと、柳生の家訓がありましてね、大才、中才、小才と、それぞれの才能がありまして、小才は縁を知って縁を生かさない、バカというんだそうです(笑)。中才は縁を縁だと知っていること、そして縁を知って縁を生かす、1万にすることを大才というそうです。たぶん幹事長の菊地健太郎さんへのメッセージも含めて、これから、この縁をどう生かすか、いろんな意味において、始まりだと理解されて生かしていただきたい。そして繋がりができていくんだろうと思います。
佐藤 いいコメントをいただきました。もし言い残したことがあれば、みなさん一言ずつどうぞ。
中村 今、川村さんのお話を聞いて、人が集える商店街、子どもが活躍できる商店街であってほしいと望むだけでなく、今日のご縁も生かしながら、自分もそこに関わりを持ち続けて活動していきたいなと思います。
三浦 私は初めてリサイクル商店街サミットに関わらせていただいたんですが、少なくても「リサイクル」という看板を掲げている以上、環境を目指した集まりだということに間違いないはずなんですね。それはしっかりアピールしていただきたい。ただ、手段についての不純な動機は大いに必要だと思っておりますんで、これからもいろんな形で開発できればなと思っております。商店という立場、お客さんという立場もあります。その中で環境に熱心な方もおられれば、全く無関心な方もおられます。いろんな立場の人を上手く繋げていく仕組み。その中で環境の改善に繋がっていけば、商店街の大きな役割になっていくだろうと期待しています。
藤村 川村さんが縁を広げようとおっしゃいました。来年の商店街サミットは、宮城県の志津川町で行われる予定です。宮城県では涌谷町、仙台の西多賀商店街さんが参加し、宮城県には3つの「エコステーション」があるので、この宮城県の中で、サミットに向けて縁を広げていっていただきたいなと思っております。今日昨日と、この山形県内の商店街さんや行政など、いろんな方に来ていただきまして、「あーよかった」と肩の荷を降ろしてしまうと思うんですが、せっかく「エコステーション」があってチケットが出るんですから、山形県のいろんな商店街さんのチケットも出るようにしていただきたいし、行政のいろんなイベントもあると思います。せっかく来ていただいたんですから、県庁が発行するチケットも、山形のお知らせもしましょうよと。これならお金も掛からずに、簡単にできますからね。今回のご縁を、是非「エコステーション」で広げていただきたいと思っております。
白木 今回、初めて山形に参りましたが、「縁」という言葉に尽きるなと改めて思ったんです。これからは仲間づくりが必要になってくると思います。リサイクル、リユースなどいろんな言葉がありますが、循環なんですよね。それを考えていくと、縁のほかに熊本では「もやい」または、おをつけて「おもやい」という言葉があって、意味は分かち合いなんです。これは仲間づくりができていないとできないことです。今回、山形へ来ることが出来て、本当に良かったと思うんですけれど、みなさんの熱心な議論やお話を聞きながら、この縁が仲間づくりのきっかけになれば、そしてもし、またお会いする機会があれば、よろしくお願いしたいと思います。
加藤 言い残したことは特にありません。昨日今日と大変お世話になりました。主催者のみなさまに心より感謝申し上げます。
佐藤 実は私も5分位話したかったのですが、みなさま論者ばかりで、いろんなご意見、ご質問もありましたので省略しますが、一つだけ申し上げたいのは、昨日今日と議論をお聞きしておりまして、商店街という固定概念をそろそろ捨てないといけないかなという気はするんですね。捨てると物凄く大きな可能性が出てくるなと感じました。私が印象的なのは、加藤さんがおっしゃった「一緒に考えよう」ということです。それは考えるじゃなくて、「一緒に行動しよう」ということだと思うんですね。それが川村さんがおっしゃってくださった「縁」に繋がっていくわけですけれど、この2日間のサミットを単なるイベントとして終わらせるのではなく、一つの物語の始まりとして、山形のみなさんも物語を作っていただければ、遠くから来てくださったコーディネーターやパネリストやゲストの方々にとっても、一番大きなお返しになろうかと思います。みなさん長い時間ありがとうございました。
司会 佐藤さま、パネリストのみなさま、ありがとうございました。